ケルンコンサートと車輪の下

ケルンコンサートを聴くとなせが車輪の下を読んだ頃を思い出す。
ハンスを真似て釣りに行ったとか、原っぱで仰向けになった空を見続けていたとか、中学生だった。日常が空しいと言うか、勉強は勿論何もかもやる気が全くしなくてボケっと空を眺めていた頃を思い出す。

ケルンコンサートは即興曲。もしかして、キースジャレットは体制に抑圧されていたとか、何か悲しいことがあったとか、演奏した時に何かに押しつぶされそうな気持だったのだろうか。そんな気がする、ケルンコンサートを聴いて、さぁ頑張っていこうって気持ちにはなれない。この曲からは無力感を感じるが、それは、その時のキースジャレットの無力感だと思う。
幼稚園から社会人の今日まで制服を着たことがない(中学の時に学生服を着たことを除く)。制服で何が分かるんだと言われるかも知れないが、制服は体制の象徴に思える。制服経験がない私は体制というものを知らない。当然抑圧されたという覚えもない。高校はどこでも良かったし、予備校に行ったにもかかわらず大学受験の勉強をした覚えはないし、勿論、就職先もどこでも良かった。それは自分が望んだことだった。その点でハンスとは違う。しかし、重ねてしまう。それがケルンコンサートである。

私は均一化されることを嫌うアウトローな人生を送っている。にもかかわらず、目立ちたいという欲求を持っている普通の人間だ。

私は体制側(車輪側)の人間ではないのだ。価値観が違うような気がする。社長に向いていない性格かも知れない。
成功する人はケルンコンサートや車輪の下を好まないと思う。次にケルンコンサートを聴くのはいつだろうか、成功していれば永遠にその時は遠い先になるだろう。もし聴いたらブログにアップします、お楽しみに。